2017年9月11日月曜日

性的指向を変更する「治療」の無効性と有害性について

homosexuality に関して,性的指向 (sexual orientation) を同性方向から異性方向へ変更することは可能である,という議論が,いまだに SNS などで散見されます.

この問題に関しては,2009年に発表されたアメリカ心理学協会 (the American Psychological Association) 「性的指向への適切な治療的対応」問題委員会の報告書が,既に結論を出しています.勿論,性的指向を変更する「治療」は無効であり,有害でさえあり得る,という結論です.

同報告書の冒頭に掲載されている要旨の原文と邦訳を御紹介します:

The American Psychological Association Task Force on Appropriate Therapeutic Responses to Sexual Orientation conducted a systematic review of the peer-reviewed journal literature on sexual orientation change efforts (SOCE) and concluded that efforts to change sexual orientation are unlikely to be successful and involve some risk of harm, contrary to the claims of SOCE practitioners and advocates. Even though the research and clinical literature demonstrate that same-sex sexual and romantic attractions, feelings, and behaviors are normal and positive variations of human sexuality regardless of sexual orientation identity, the task force concluded that the population that undergoes SOCE tends to have strongly conservative religious views that lead them to seek to change their sexual orientation. Thus, the appropriate application of affirmative therapeutic interventions for those who seek SOCE involves therapist acceptance, support, and understanding of clients and the facilitation of clients’ active coping, social support, and identity exploration and development, without imposing a specific sexual orientation identity outcome. 
 アメリカ心理学協会 (the American Psychological Association) の「性的指向への適切な治療的対応」問題委員会は,「性的指向を変更する努力」(sexual orientation change efforts : SOCE) をテーマとして査読つき学術誌に掲載された諸論文を体系的に調べ直した.そして,SOCE の実施者や支持者の主張とは逆に,SOCE は成功する見込みが無く,むしろ有害である危険性がある,と結論した.同性の相手に性的または恋愛的に惹かれ,そう感じ,それによって行動することは,性的指向に関するアイデンティティにかかわりなく,人間のセクシュアリティの正常でポジティヴなヴァリエーションである,と研究論文も臨床論文も証明している.しかしながら,SOCE を受ける人々は非常に保守的な宗教的意見を有している傾向があり,そのせいで性的指向を変更することを求めてくるので,SOCE を求める人々に対する肯定的な治療的介入の適切な適用として含まれるべきことは,治療者は,特異的な性的指向に関するアイデンティティを治療結果としてクライエントに押しつけることなく,クライエントを受容し,支え,理解し,クライエントが能動的に問題に対処し,社会的な支えを得て,自身のアイデンティティを探求し発達させるよう助けることである.


もし,この問題に関していまだに理解不十分な人の議論を SNS などで見かけた場合は,このブログ記事へのリンクを紹介してあげてください.

ルカ小笠原晋也

2017年9月7日木曜日

LGBTQ を嫌悪する福音派プロテスタント教会の声明に対する LGBTQ クリスチャンの側からの反対声明

2017年8月29日,USA の保守的な福音派プロテスタント教会が構成する the Council on Biblical Manhood & Womanhood は,同性愛,同性婚,性別非二元論を非難する14組の肯定と否定から成る Nashville Statement を発表しました.LGBTQ+ の人々を非常に傷つける内容です.

Nashville 市長は,市の名が冠されたその声明を直ちに非難し,良識的なジャーナリズムは批判的な記事を発表しました.

カトリック教会からもプロテスタント教会からも,Nashville 声明を批判し,LGBTQ+ を擁護するために,何組かの肯定と否定から成る声明が発表されました.ここに翻訳して御紹介します.

ひとつは,LGBTQ+ 擁護で有名な James Martin 神父様の Twitter での発言です.一連の tweet は,「sexuality に関する Nashville 声明に対する七つの簡潔な答え方」と題されて,the Washington Post にまとめて転載されました. 

もうひとつは,親 LGBTQ プロテスタント諸会派の関係者多数が連名で発表した声明です.



sexuality に関する Nashville 声明に対する七つの簡潔な答え方 by Fr James Martin SJ



わたしは肯定する:神は LGBT の人々すべてを愛している.

それに対して,Jesus が我々を侮辱したがっている,裁きたがっている,あるいは,LGBT の人々をさらに差別したがっている,ということを,わたしは否定する.

わたしは肯定する:我々は皆,回心が必要だ.

それに対して,おもな罪人は LGBT の人々である,あるいは,LGBT の人々だけが罪人である,と何らかのしかたで特別視することを,わたしは否定する.

わたしは肯定する:社会の辺縁にいる人々に出会ったとき,Jesus は,断罪ではなく歓迎を以て導いた.

それに対して,Jesus が裁きをもっと欲している,ということを,わたしは否定する.

わたしは肯定する:LGBT の人々は,洗礼のおかげで,教会のまったき一員である.

それに対して,LGBT の人々が自分たちは教会の一員ではないと感ずるよう神は欲している,ということを,わたしは否定する.

わたしは肯定する:多くの教会によって,LGBT の人々は,自分たちがあたかも汚れた者であるかのように感じさせられてきた.

それに対して,我々が LGBT の人々の多大な苦しみをさらに増すよう Jesus は欲している,ということを,わたしは否定する.

わたしは肯定する:LGBT の人々は,わたしが知る最も聖なる人々に属している.

それに対して,Jesus は我々が他者を裁くよう欲している,ということを,わたしは否定する.そのようなことを Jesus は明らかに禁じている.

わたしは肯定する:LGBT の人々は,御父により愛されており,御子により招かれており,聖霊により導かれている.

それに対して,LGBT の人々に対する神の愛に関してわたしが否定することは,何も無い.


Christians United in Support of LGBT+Inclusion in the Church(教会における LGBT+ 包容を支持するために一致するクリスチャンたち)の声明2017830日付)


Jesus Christ のあとに従う者として,わたしたちは,あらゆる時代において,神の愛と恵みと真理を証しせねばならない.わたしたちは,神を信じ,神に仕える.神は,生きており,働いており,わたしたちが Jesus Christ の似姿および彼れが宣言した王国へもっと近づけるよう,絶えず導いてくださっている.Christ 御自身がわたしたちに断言したように,聖霊に従うことは,しばしばわたしたちを変化の時代へ導く.そこにおいては,わたしたちは,自分たちの伝統と慣習について反省し,それらを Jesus Christ の心と手本により明らかに適うものへ改革するよう呼びかけられている.それは,キリスト教の歴史全体を通じて当てはまることである.かくして,わたしたちは,わたしたち以前のあらゆる時代と同様に,キリスト教の教えと慣習について反省し,悔い改め,それらを Jesus Christ において啓かされた神の心と意志により密接に添うものへ改革するよう呼びかけられている.

教義や伝統を考え直し,改革するよう,神がわたしたちに呼びかけているのに,聖霊の導きにさまざまなしかたで抵抗し,旧来の教義や伝統に固執する者たちは,いつの時代にもいる.わたしたちの歴史を通じて,聖霊が聖化する業(わざ)の最先端を行く者たちは,当初,既成のキリスト教組織に属する者たちによって,排除され,差別され,悪魔視されることが,しばしばあった.21世紀の今日,教会は再び新たな改革の際に立っている,とわたしたちは信ずる.その新たな改革において,聖霊は,人間の性的指向と性同一性に関するキリスト教の教えを再検討するために聖書と伝統へ立ち返るよう,わたしたちに呼びかけている.

数十年にわたり,多くの司牧者と神学者と改革者が,大胆にも,聖霊の呼びかけに応えて,性的指向と性同一性に関するキリスト教の教えの理解を刷新するよう教会に呼びかけるために,歩を踏み出してきた.性的指向と性同一性に関するキリスト教の教えは,lesbian, gay, bisexual, transgender, non-binary, queer の人々を,神により創造され,完全に祝福された者として,かつ,あるがままの状態で つまり,キリスト教が従来登用し受け入れてきた異性愛規範的,家父長的,男女二元的な性的指向と性別規範に迎合する必要無しに 教会と社会の生活へ歓迎されている者として,包容し,肯定し,受け入れる.それらの預言者的な声が歩み出すにつれて,伝統的なキリスト教組織のなかからは,彼れら 聖書と伝統を再検討するよう導く聖霊に忠実に従う者たち を悪魔視し,排除し,差別するために労を惜しまない者たちが出てきた.改革者たちは偽教師であり,異端者であり,世界中のクリスチャンの小さな割合をしか代表していない,とそれらの者たちは言い張った.

特に過去20年間で,世界中で何万人ものキリスト教徒が,聖霊の促しに応え始め,聖書と伝統の教えを理解し,LGBT+ の人々と彼れらの人間関係とを全的に肯定し,受容し,称賛するようになった.伝統的なキリスト教組織のなかには,LGBT+ の包容に関する考え方を改めさせた傑出したクリスチャンの声のうねりが高まるのを抑えようとする者もいるが,否定しようのない真理はこのことであり続ける:すなわち,性的指向と性同一性に関する「伝統的」なキリスト教の教えは捨て去られつつある;そして,それに代わる新たな性的指向と性同一性の理解は,より誠実であり,よりキリスト中心的であり,わたしたちの信ずるところでは,より聖書にかなっており,それは,神の創造性をたたえ,神による人間の創造における豊かな多様性を賛美するものである.

教会のなかで,新たな一日が夜明けを迎えつつある.クリスチャンは皆,LGBT+ の同胞たちを等しく神の国に与る者として肯定し,称賛するために,大胆に,言いわけ無しに,歩み出すよう,呼びかけられている.それゆえ,Jesus Christ の教会に仕えることを望みつつ,かつ,より大きな改革と教会と LGBT+ の人々との和解を促進することを望みつつ,わたしたちキリスト教指導者たちの連盟は,以下の肯定と否定を提示する.

その 1 :
わたしたちは肯定する:人間は皆,神の似姿に創造されており,人類においてそれぞれユニークな性的指向と性同一性の広範なスペクトラムを通じて表現される豊かな多様性は,神の創造の業(わざ)の規模の完璧な反映である.

それに対して,神の創造の意図は性別二元論に限定されており,人間の恋愛関係に関して神が欲することはひとりの男とひとりの女との間の異性愛的な関係においてのみ表現される,と示唆するようなあらゆる教えを,わたしたちは否定する.

その 2 :
わたしたちは肯定する:神は結婚をこのようなものとして計画した すなわち,結婚は,愛し合い,仕え合い,生涯相互に誠実に委ね合った生を生きることを誓約した人間たちの間の契約の絆である.

それに対して,神は人間の恋愛関係をひとりの男とひとりの女との関係に限定しようと意図した,ということを,わたしたちは否定する.そして,互いに愛し合い,仕え合うことを契約し,誓約する人間の神聖な,もしくは市民的な権利を制限しようとする試みは,いかなるものも,神の創造の計画に対する侮辱である,と宣言する.

その 3 :
わたしたちは肯定する:堕落した人間たちの関係は大きな歪みを被り,その結果,さまざまな形の不貞や不健全な行動が生じ,それらは人類の苦しみを悪化させている;しかるに,神が欲しているのは,人間皆が愛と自己犠牲の相互関係 恋愛的なものであれ,プラトニックなものであれ,社会的なものであれ,また,性にも性同一性にもかかわりなく に入ることである.

それに対して,人間関係の堕落のゆえに性的指向と性同一性の多様性が生じたのだ,ということを,わたしたちは否定する.むしろ,堕落は,自身を与える愛 その似姿にわたしたちは創造されている の代わりに,快楽主義的な自己利害にもとづいて機能する人間の能力のうちに表れている.

その 4 :
わたしたちは肯定する : intersex[何らかの先天的な条件により生物学的性別分化が非定型的である人々]として生まれた人々は,神の似姿を完全に,かつ等しく有する人々であり,完全な尊厳と尊重に値する;わたしたちは,intersex の人々を,彼れらの自己実現の旅路において,および,神によって創造された彼れらのユニークな性的指向と性同一性 それが如何なるものであれ を受容する旅路において,肯定し,支える.

それに対して,intersex の人々は,性別二元論や異性愛規範的な性別規範に合致するよう求められている,ということを,わたしたちは否定する.

その 5 :
わたしたちは肯定する:男の性同一性と女の性同一性は大多数の人間の家族の反映であるとはいえ,神は,男女二元性に当てはまらない性同一性を有する人々を創造してきた.transgender の人々は,本当の性同一性とは合致しない身体を持って生まれてきた.わたしたちは,それらの人々を支えるべきである.そして,「わたしは誰か」,「どのように神はわたしを創造したのか」の問いに関して彼れら自身が識っていることを,信頼すべきである.

それに対して,身体の生物学的所与にもとづく文化的想定に合致する性同一性を受け入れるよう強いることが健全な行いであり,異性愛的男女二元論が創造における神の聖なる意図に唯一適合する反映である,ということを,わたしたちは否定する.

その 6 :
わたしたちは肯定する : LGBT+ クリスチャンは,神が欲することを履行する聖なる生 すなわち,彼れらのために神が創造の際に意図したことに適うよう生きることをとおして神に喜ばれる生 を生きるよう呼ばれており,また,クリスチャンすべてと同様に,わたしたちの主 Jesus Christ の手本を反映する生のリズムにあわせて歩むよう呼ばれている.

それに対して,異性愛または男女二元的性同一性が,神の創造の自然な善さを反映する唯一の正当な性的指向と性同一性である,ということを,わたしたちは否定する.

その 7 : わたしたちは肯定する : LGBT+ の人々は,LGBT+ である個人として,かつ Jesus Christ に忠実に付き従う者として,誇りをもって公然と生きることができ,また,彼れらは,教会が Christ のからだとなる召命を十全に受け入れ得るために,教会のリーダーシップと生と教役のあらゆるレベルにおいて,例外無く十全に受容され包容されねばならない.さらに,わたしたちは肯定する : Christ は,教会が,性的指向や性同一性や諸個人の関係性や性に関する信念の多様性のただなかにおいて,ひとつであり,ひとつにまとまるよう,呼びかけている.

それに対して,性的指向と性同一性 にかかわる聖書の言葉をどう解釈するかに関する教えは正統性を規定する問題であり,クリスチャンの間の分裂の原因となるべきだ,ということを,わたしたちは否定する.

その 8 :
わたしたちは肯定する:世界中のキリスト教教会において,非包容的な教えは,LGBT+ の人々を心理的,精神的に著しく傷つけている.また,わたしたちは肯定する : Jesus Christ の教会は,何十万人もの人々にいじめ,虐待,家族や共同体からの排除を経験させてきた有害なメッセージの宣教について罪を負っており,Christ の名において LGBT+ の人々に対して為されてきた害について,公に悔いねばならず,LGBT+ の人々との和解を求めねばならない.

それに対して,有害な教えをやめようとせず,LGBT+ の人々との開かれた対話を拒むクリスチャンは Jesus に忠実にならう手本に従った生を生きている,ということを,わたしたちは否定する.

その 9 :
わたしたちは肯定する:性的指向と性同一性は,相異なる多様なしかた そこには,独身であることも含まれる で表現され得る.また,わたしたちは肯定する:神が欲することへの積極的参加,同意,尊重,自己犠牲的愛は,クリスチャンにとって神聖かつ正当と見なされるべきあらゆる生と関係性の中心であらねばならない.

それに対して,関係性の家父長的,異性愛規範的なモデルに合致させるために,性的指向や性同一性を変えることを約束する何らかの形の治療を受けるよう,ある個人 特に,未成年者 に強いるべきだ,とする意見を,わたしたちは否定する.

その 10 :
わたしたちは肯定する : Jesus Christ は,人間すべてに救済をもたらすために世に来たのであり,彼れの生と教えと死と復活によって,あらゆる人は Christ による贖いへ招かれている.

それに対して,Christ は誰かを性的指向や性同一性の理由でその愛に満ちた受容から排除する,ということをわたしたちは否定する.また,同性愛,両性愛,queer sexuality, trans identity, asexuality, その他の queer identity は,罪深く,歪んでおり,神の創造の意図からはずれている,ということを,わたしたちは否定する.

ルカ小笠原晋也による翻訳

訳者注記:三人称代名詞を「彼れ」,「彼れら」と訳しました.特に they の訳語として gender を特定する「彼ら」や「彼女ら」を用いるのを避けるために,本来 gender neutral な指示詞「彼(か)」の利用を復活させてはどうか,と思うからです.それにともなって,単数形も「彼」(かれ)ではなく,「彼れ」(かれ)としてはどうでしょうか?「彼れ」は,gender neutral な三人称単数代名詞として用いることができるでしょう.もっとも,文書のなかでだけですが...

2017年8月25日金曜日

鈴木伸国神父様の説教,2017年08月20日,LGBT 特別ミサ



鈴木伸国神父様の説教,20170820日,LGBT 特別ミサ


聖書のことばには,たとえその一節についてではあってもたくさんの解釈や説教が歴史のなかで積み重ねられていて,そこに何か新しいことが見つけられることはなかなか難しいはずです.でも不思議なことにわたしには読むたびごとに違った趣を示してくれるもので,いつも新しい発見や着想を与えてくれます.

カナンの女(マタイ 15,21-18


今日の個所はイエスが異邦の地に旅をしたときの話しです.ティルスとシドンはガリラヤ湖からは 40 - 50 km ほどの地中海岸沿いの港町で,現在のレバノンにあたる地域にありました.そこである女性がイエスに自分の娘の病を癒してくれるように願い,断られながらも根気強く願いつづけ,最後には聞き入れられたというお話しです.新共同訳には「カナンの女の信仰」という小見出しが付けられています.

この箇所をよむとき,信じれば「桑の木」や「山」も動くという物語(マタイ17,19f ; ルカ17,6)のように,信じることの不思議さを感じることがありますし,「裁判官とやもめ」(ルカ 18,1-8)のように根気強く願い,また祈りつづけることの意味を考えさせられることもあります.自分のことではなく,自分の娘を思う母の強さと愛情にこころが留まることもあります.でも今日はわたしにはまったく別の情景が浮かびました.

わたしに特別な印象を与えてくれたのは「主よ,ごもっともです.しかし,小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」というカナンの女性の言葉です.たいへん失敬な言い方になるかもしれませんが,この句がわたしには,少し,いえ,かなり慣れなれしそうな話し方で,たとえばこんな響きをもって聞こえてきました:

もちろんです.もちろんですとも,イエス様.本来ならあなたが異邦人に親しくしてくださるなんてことはないはずです.でもイエス様,さっきテーブルのうえのパンを,お足元の子犬たちに分けてあげていらっしゃるとき,イエス様,とってもおやさしいお顔でしたわ.ほんとに,遠くから拝見しただけもちょっと涙ぐんじゃうくらいの,おやさしい微笑みでらっしゃいました.ねぇイエス様,神様のお恵みはあなたのなかであふれるほどです.ねぇ,イエス様.

そうですねぇ.少し違いますけれど,ミュージカル映画 Sister Act[邦題:天使にラブソングを](1992) のなかの Deloris (Whoopi Goldberg) か,歌謡グループ Perfume の歌「ねぇ」のような印象でしょうか.自分でも何だか分かりませんが,わたしのなかにそんな情景がひろがり,わたしは一遍にこのカナンの女性のファンになりました.(聖句にもとづく観想的な祈りというのは不思議なもので,それがどんな意味なのかは分からないままにまずイメージが与えられます.)

信頼


わたしが新しさを感じたのは多分,(丁度「聖書と典礼」の冊子の扉絵のように)へりくだって腰をまげて,あるいはひざまずいてイエスに恵みを請い願う女性という,わたしが持っていたそれまでのイメージが,イエスととても親しい人たちと同じ立場にある人と変わらない親しさで,あるいは自分の友人が困っている自分を助けないなどとはちっとも思わずに,何の疑いもなくイエスに向かって助けを求める手を差しだすような,そんな一人の女性のイメージへと転換したからだと思います.

心象としてその展開を描いてみれば以下のようなものです.この女性は自分を遠ざけようとしているイエスにむかって,自分が彼にとって大切な存在である,あるいはなりうることを疑わずに,逆に近づいて行きました.近づいて,そして少しも恐れたり,不安に飲まれることなく,イエスの前にとどまり,イエスに無関係なものではないだけではなく,ごく短い対話を通じてでも,親しく言葉と愛情を交わし合える存在であることを示しました.そしてイエスの眼差しのなかで彼女はもはや異邦人としてではなく,自分にとってかけがえのない友人たちの一人に実際に変貌します.そのとき「イスラエルの失われた子ら」であるか否かという区別と障壁がイエスの中で消え,それにせき止められていた恵みは,イエスの承認の言葉とともに,この女性のうえに,そしてその娘へと流れだしてゆく.

新共同訳でイエスの承認の言葉は「あなたの信仰 (πίστις, pistis) はりっぱだ」と訳されていますが,わたしはここでは「あなたの信頼はりっぱだ」と理解したいと思います.「あなたはわたしを信頼し,わたしがあなたを友として受け入れることを疑うことなくわたしに近づき,わたしのこころの情景を変えてくれた.あなたの信頼があなたをわたしの友とし,わたしをあなたの友としてくれた」.そんな印象でしょうか.

たぶんこのようなわたしの心象の背景にあるのは,1960 - 1970年代にかけての学生運動やフェミニズム運動に自分を賭してきた人たちの姿だと思います.彼らはそれまで個人のなかに押し込められてきた悩みや苦悩を,公共的な場に提示し,それを願いとしてではなく,自明,あたりまえのこととして実践しました.でもそれを「運動」などと,とりたてて言わなくてもいいのかもしれません.誰かの苦しみはたいていはある事象を苦しみとして感じさせる社会構造と表裏のものであるはずのもので,自分の中だけから作られた悲しみなどというものはどこにも無いはずだからです.たしかに “the private is political (or public)”個人的なことは政治的なこと)だからです.

それにしてもこの女性は「つよい」と思います.自分の娘と自分の苦しみを,隠されるべき負の負い目としてではなく,友人でもないが友人になってくれるだろう人のもとに,引け目や恥の意識をのりこえて差し出しているからです.このときこの女性は,多くの解釈のように,腰を曲げて,自分が悪いものででもあるかのように,懇願することもできたでしょう.しかしそれでは,人と人を分かつ区別と障壁は,別種のものに変えられることはあっても取り払われてしまうことはなかったでしょう.

人のこころの機微


もう一つこの女性の姿でわたしをひきつけるものがあります.このカナンの女性のかしこさです.かしこさと言っても,頭がいいとか博識だというのではありません.彼女は人の心のどこのボタンをどの順番で押せばいいのかを心得ているように感じたからです.

そもそもイエスの態度はなかなかのものです.彼の最初の反応は「何もお答えにならなかった」,つまりまったくの無視です.つぎに弟子たちから急かされたときの反応は  自分は「失われた羊のところにしか遣わされていない」‒ 拒否です.しかも出自の違いを盾にした拒絶です.そして詰寄ってくる女性に 今の文脈なら明らかに相応しくない incorrect な言い方になりますが 「犬」という言葉をかけます.自分の母親に向かって「そこの女性」と呼びかける人だとしても,あんまりだと感じます.

ではカナンの女性の側はどうだったでしょうか.彼女は初めは「叫んで」いました.そして弟子たちがイエスに取り次いでいるのを遠くから覗い,今度は叫ぶことなく,しかし「ひれ伏して」イエスに懇願します.この女性はしたたかに人の機微を伺って願うものへと近づいてゆきます.そしてイエスから侮蔑的な言葉とともに最終的な拒絶を投げかけられたときには これは飛び切りなのですが ,その侮蔑のことばをそっくり受け取って,主人と食卓,パンと犬からなる,同じ情景のなかに,まったく別の,逆の含意をもった物語りをつくり,しかも相手がきっと受け取るだろう文脈を添えて返しています(「ごもっともです.しかし,小犬も...」).彼女は,願うものを得るために,機智を見せるだけでなく,人の心もうけとっています.苦労を知っている人の知恵のようにも思えますし,(意識的な技巧ではないかもしれませんが結果からすれば)外交官なみのたしなみのようにも思えますが,わたしには神を信じる人の巧まざる愛情と知恵の現れのように感じられました.

その結果,イエスはあっさりと考えを変えます.ほぼ180度です.「あなたは正しい.ぼくが間違っている.それがはっきりと分かる.ああ,婦人よ,あなたの信頼は神に嘉(よみ)されている.恵みはあなたのものだ」と言っているような気がします.自分の側にある壁をのりこえて,また裏切られることもあらかじめ受け入れながら,人を信頼すること,人が笑顔を交わし合えることを信じられること.たしかにこの女性が自分を神に愛されるものにしたのだと思います.

いったいわたしのこんなイメージがお説教に相応しいのかどうか分かりませんが,少なくとも私はこの女性のファンになりましたし,皆さんも少しファンになっていただけたとしたら,それで十分な気がいたします.

注)このテクストは,8月20日の LGBT 特別ミサにおける説教の録音にもとづいて,鈴木伸国神父様が改めてお書きくださったものです.

共同祈願,2017年08月20日,LGBT 特別ミサ



Pieter Lastman (1583-1633), キリストとカナンの女 (1617), Rijksmuseum, Amsterdam


小宇佐敬二神父様と鈴木伸国神父様のために祈りましょう.小宇佐神父様は,御病気のため暫く療養に専念なさることになりました.あわれみ深い主よ,あなたのしもべ,わたしたちの牧者,小宇佐敬二神父がすみやかに元気を回復することができるよう,彼を癒してください.そして,寛大な主よ,彼に代わる牧者として鈴木伸国神父をわたしたちに与えてくださったことを感謝します.あなたの愛の恵みを特別に注ぎ,鈴木神父を祝福してください.

LGBTQ inclusion に積極的に取り組む教役者たちのために祈りましょう.アメリカの Newark の司教 Joseph Tobin 枢機卿に続いて,世界のあちらこちらでカトリック教会が LGBTQ の人々を歓迎し,包容する姿勢を公にあらわしています.Scotland Glasgow Paul Morton 神父Facebook でこう告知しました:「わたしたちの教会は,性的少数者を歓迎します.神の愛から排除されている人は,ひとりもいません.神の家には誰もが歓迎されます」.また,Brazil Cruz 司教は,説教でこう説きました:「性的少数者であることは,個人の選択によるのでも精神疾患によるのでもないのだから,神の賜以外のものではあり得ません.人種差別と同じく,sexuality による差別は克服されねばなりません」.日本でも,晴佐久昌英神父様は,キリスト教徒の心に根深く残る原理主義的な傾向を批判し,神の愛の全包容性と救済の普遍性を説いています.そして,彼が主任司祭を務める教会は LGBTQ の人々をいつでも歓迎する,と断言しています.慈しみ深い主よ,あなたの愛をあまねく実現するよう努めるあなたのしもべたちを祝福してください.あなたの福音を世界中に宣べ伝えようとする彼らの声に耳を塞ぐ者たちの心を優しく開いてください.

ブラジルの LGBTQ 人権活動家 Toni Reis と彼の家族のために祈りましょう.Toni Reis と彼の夫 David Harrad の同性婚カップルは,あきらめずに求め続けた結果,養子三人を迎えることができ,さらに,子どもたちに洗礼を授けてもらうこともできました.そして,子どもたちの洗礼について Papa Francesco の祝福の言葉を伝える手紙を Vatican から受け取りました.命を与えてくださる主よ,あなたは,実の親により育てられずにいた子どもたちに同性婚カップルを親として与え,あなたの愛の聖霊で彼らに新たな命を与えました.Toni David と彼らの子どもたちを改めて祝福してください.世界中の同性カップルとその子どもたちにも,あなたの愛の恵みを与え,皆を祝福してください.

さまざまな事情で今日,わたしたちとともにこの御ミサに与ることができなかった同胞たちとその家族のために祈りましょう.主よ,あなたは,社会のなかで辺縁に追いやられた人々をひとりも見捨てません.誰ひとり排除せず,誰をも皆包容するあなたの愛の恵みを,今日来れなかった人々にも豊かに注いでください.また,今日ここに集う幸せを恵み与えられて感謝するわたしたちが,ひとりでも多くの同胞たちへ神の愛の福音を伝えて行くことができるよう,主よ,常にわたしたちとともにいてください.

ルカ小笠原晋也

2017年8月10日木曜日

ブラジルの司教が「同性愛は神からの賜である」と説教



ブラジル Caicó 教区の司教 Antônio Carlos Cruz Santos は,730日の説教で「同性愛は,神からの賜である」と述べました.それに対する大きな反響を受けて,司教は86日,教区の website 声明を発表しました.そこにおいて彼は,LGBTQ+ の人々の自殺率が高いことを改めて指摘し,「死を惹起する偏見を克服し,命を救うことが,わたしの意図するところである」と述べました.

司教が730日,Caicó 教区の聖アンナ祭を締めくくるミサで行った説教の内容を,我々は,Crux 紙の記事にもとづいて,次のように要約します:

わたし(Cruz 司教)は,あるとき,ラジオで,transgender の人々の高い自殺率に関する研究について聞いた.そして,奴隷制が容認されていた時代の黒人と同様に,今 LGBTQ の人々が被っている社会的な偏見や誤解について考え始めた.

我々の SOGI (sexual orientation and gender identity) は,我々自身が選べるものではない.選択は自由意志において為されるが,自身の SOGI が如何なるものかを我々はあるとき所与として気がつくだけである.

我々は,sexuality を尊厳ある倫理的なしかたで生きることもできるし,逆に,放埒なしかたで生きることもできる.それは,SOGI の如何にかかわらない.

また,WHO は,LGBTQ をもはや精神疾患とは見なしていない.

選択でもなく,疾患でもないなら,信仰の観点においては,LGBTQ であることは神からの賜以外のものではあり得ない.

それに対して,我々が有する偏見は,神からの賜ではない.例えば,奴隷制が容認されていた時代,黒人は人間とは見なされていなかった.黒人には魂は無いと言われていた.それは,偏見のせいであった.

我々は,福音の知恵において,そのような偏見を克服するために跳躍することができた.奴隷制の容認から否定へ,両者を隔てるギャップを飛び越えることができた.まさにそのときのように,我々は,今や,同性愛に対する偏見を克服するために跳躍すべきである.

Papa Francesco は,慈しみをカトリック教義の出発点としたいと思っている.主 Jesus Christ は,慈しみのためにこそ,十字架上で高い代価を支払ってくださったのだ.

以上のような内容の説教に対して,称賛とともに,少なからぬ批判が起こりました.そこで,Cruz 司教は,86日,教区の website 声明を発表しました.そこにおいて司教は,カトリック教会のカテキズム 2358 段(注)を改めて引用しつつ,自殺を引き起こすような偏見を神の慈しみの力動において克服し,人々の命を救うことこそが,彼の意図するところである,と述べています.

(注)カトリック教会のカテキズム 2358 段:「無視し得ない数の男女が,根本的な同性愛傾向を呈している.(...) 彼ら・彼女らは,同性愛者としての自身の条件をみづから選んでいるのではない.彼ら・彼女らは,敬意と共感と気遣いとを以て受け容れられねばならない.彼ら・彼女らに対してあらゆる不当な差別の刻印は避けるべきである.それらの人々は,自身の人生において神の意志を実現するよう呼びかけられているのであり,また,もし彼ら・彼女らがキリスト教徒であるなら,同性愛者としての条件のせいで遭遇し得る諸困難を主の十字架の犠牲と結びつけるよう呼びかけられている.」

ルカ小笠原晋也

2017年8月9日水曜日

養子に洗礼を授けてもらった同性婚カップルを Papa Francesco が祝福


向かって左から,Alyson (16), Toni Reis, David Harrad, Felipe (11), 
子どもたちを洗礼した神父様,Jessica (14)

Brazil の Curitiba 在住の LGBTQ 人権擁護活動家 Toni Reis 氏は,本年06月04日付で手紙を Papa Francesco へ送り,彼と彼の同性パートナー David Harrad 氏との養子三人(息子ふたりと娘ひとり;ふたりの男の子のうちのひとりと女の子とは同じ両親から生まれた兄弟)が04月23日にやっと洗礼を受けることができたことを知らせました.


「やっと」と言うのも,彼らの子どもたちの洗礼の求めに対して Curitiba 大司教 José Antônio Peruzzo が許可を出すまでに三年もかかったからです.

Reis 氏は,子どもたちの夢は07月07日から13日まで一週間,家族旅行でイタリアに滞在する間に教皇から直接祝福を受けることだ,とその手紙のなかで教皇に伝えました.

残念ながらその夢はかなえられませんでしたが,Reis 氏のもとには07月10日付の Vatican からの返答書簡が国務省総務課補佐官 Monsignore Paolo Borgia の名義で届きました.


 
その手紙のなかで Borgia 神父は,Papa Francesco は Reis 氏の家族に神の恵みが豊かにあるよう祈っている,と述べ,教皇の祝福の意を伝えてきました.

Reis 氏は,彼の教皇宛書簡と Vatican からの返答書簡とを Facebook で公表しました.「養子に洗礼を授けてもらった同性婚カップルを,教皇が祝福した」このニュースは,世界中に報道されました.

カトリック教会の分裂を惹起しないために同性婚を結婚の秘跡として認めるところまでは踏み込まないものの,LGBTQ+ の人々を差別無く歓迎する Papa Francesco の全包容的な司牧姿勢が,改めて確認されました.

わたしたち LGBTCJ も,Papa Francesco にならって,神の全包容的な愛の福音を今後もますます日本社会に宣べ伝えて行きたいと思います.

ルカ小笠原晋也

2017年8月3日木曜日

Scotland の小教区教会が Facebook で LGBTQ 歓迎を表明

Scotland Glasgow 市の Cambuslang 地区にあるカトリック小教区 Saint Bride 教会は,724日,Facebook に「ゲイ歓迎」の表明を投稿しました(この場合,“gay” という語は LGBTQ+ 全部を指す広義において使われていると解釈します):


Fr Paul Morton

Fr Morton wants to repeat again that all gay Catholics are accepted and welcomed in this parish.
Every single human person is loved by God and created to love by Him, this is a fundamental belief of our faith. No one is ever excluded from God’s love or his concern or his care or his plan for them.
In God’s house all are welcome and are the blessed and loved children of God. There should be no place in our language or our attitude which allows for prejudice or exclusion.
Anyone who is gay and who wishes to share or discuss this with Fr Morton please feel free to come to the parish house. Also any family member who wishes to discuss or share this please come along.
We must do everything we can to redress the harm that has been done in the past by the negative stance we seem to have taken up. We must join with others who are seeking to build a more inclusive society.
Morton 神父は,次の告知を改めて繰り返したいと思います:わたしたちの小教区では,ゲイのカトリック信徒は皆,受け容れられ,歓迎されます. 
あらゆる人間は,ひとりひとり,神に愛されています.神により愛されるために創造されています.それは,わたしたちの信仰において根本的に信ぜられていることです.神の愛から排除されている人は,誰ひとりいません.人間に対する神の気づかい,神の配慮,神の計画から排除されている人は,ひとりもいません.
神の家では,皆が歓迎されています.皆が祝福されています.皆が神の愛し子です.そこには,偏見や排除を許容するような言葉や態度の余地はありません.
Morton 神父とこのことを分かち合い,このことについて話し合いたいと思うゲイの人,または,その家族の人は,どなたでも,わたしたちの教会へお出でください.
わたしたちは,カトリック教会が[LGBTQ+ に対して]取ってきたと思われる否定的な態度によって過去に為されてきた害悪を正すために,為し得るあらゆることをしなければなりません.より包容的な社会を建設しようとしているほかの人々と協力しなければなりません.


「改めて繰り返す」と言っているのは,既に今年の5月に,やはFacebook,こう告知していたからです:

Very often people in the Catholic Church who are gay feel excluded. Anyone who is gay and feels that they may wish to speak with Fr Morton about this area of their life, please make contact with him. We wish to emphasise in the strongest terms that we are a welcoming and inclusive parish.

カトリック教会のなかでゲイである人々は,排除されていると感ずることが,とても頻繁にあります.ゲイである人で,人生のその領域のことについて Morton 神父と話したいかもしれないと感じている人は,神父と連絡してください.わたしたちは,極めて強い言葉で強調したいと思います:わたしたちは,[LGBTQ+ の人々を]歓迎し,包容する小教区です.

USA の LGBT カトリックのグループ New Ways Ministry は,その blog で,Paul Morton 神父と Saint Bride 教会の包容的な姿勢が高く評価されていることを伝えています.

日本では?せっかくですから,この機会に皆さんにお知らせしましょう.今,浅草教会と上野教会の主任司祭を兼任なさっている晴佐久昌英神父様は,以前お会いしたときに断言なさいました:「わたしが司牧する教会では,LGBTQ+ の人々はいつでも大歓迎です.どんな差別も許しません.そう公に言ってもらって構いません.」

わたしが今までそのことを blog などに明確に書かなかったのは,単に適当な機会を見いだせていなかったからにすぎません.

神の全包容的な愛を実践する晴佐久昌英神父様の全包容的な司牧姿勢を,今や皆さんもどうか広く告げ知らせてください.

ルカ小笠原晋也