2017年7月11日火曜日

「皆のフェミニズム」のための祈り A prayer for Feminism for Everybody

2017年07月09日日曜日の午後,Chimamanda Ngozi Adichie の2012年12月の Ted Talk に基づく本 We Should All Be Feminists邦訳:男も女もみんなフェミニストでなきゃを材料にした会合 Feminism for Everybody に参加してきました.

その場でたまたま出会った枇谷玲子さんが御自身の blog で発表したレポートを,参照してください.上智大学教授の三浦まりさんや,Adichie の作品を邦訳してきた くぼたのぞみ さんのお話の後は,もっぱら,参加者たちが自身の経験を分かち合うことによる相互的な enlightenment の時間でした.女性たちがそのように率直に分かち合い,肯定し合うのは,大変有意義な経験だろうと思います.

LGBT Catholic Japan 共同代表のひとりであるわたし(ルカ小笠原晋也)としては,LGBTQ 人権擁護活動と feminism との連帯を日本で構築する可能性について考えるために,参加しました.会合の場には LGBTQ にかかわっている人はわたし以外,誰もいなかったようなので,ほかの参加者たちに性差別に関する新たな視点を提供し得たのではなかろうかと思います.

女性たちと LGBTQ の人々が社会生活のなかで経験するさまざまな苦悩や困難の原因は,もっぱら,heteronormative な男の側にあります.それを認めるのが男たちにとって事実上どれほど困難であれ,理論的にはそれは明白です.

feminism の歴史のなかでは,それは,patriarchy[家父長制:男が支配的立場を占める構造]や sexism[性差別:男が女性を差別し,辺縁化する構造]の概念のもとに問われてきました.そして,生得的な生物学的性別を相対化するために,人為的な社会学的性別としての gender の概念が登用されてきました.

さらに,比較的近年 feminism の観点から主題的に論ぜられるようになってきたと思われるのが,sexual harassment[性的いやがらせ],性暴力,性犯罪などの諸現象です.そこにおいて問われるのは,男の「性欲」の問題です.例えば,sexual objectification[性欲対象化:男が女性をもっぱら性欲の対象としてのみ評価し,そのようにのみ扱う態度や行動]の概念に,そのような問題意識が表れています.

精神分析家として,わたしは,それらの問題において根本的に問われるべきものを,phallofascism[ファロファシズム,ファロス・ファシズム]と名づけています.自我理想としての phallus への同一化が,「男である」ことを規定します.その同一化が,male totalitarianism[男性全体主義]と呼ばれ得る社会構造を生み出すと同時に,性的客体としての女性の身体と男の欲望との関繋を規定します.性差別や男の性行動に関する諸問題と諸困難の根本に潜んでいるのは,そのような phallus です.

また,家父長制に関して問われているのは,父の問題です.わたしは,家族制度としての家父長制と区別するために,家父長制の本質を成していたイデオロギーを「家父長主義」(patriarchalism) と呼びます.

関連する語彙に paternalism[干渉主義]があります.ラテン語の pater[父]に由来する語です.家父長制的家族において権力の独占者と見なされる父がほかの家族メンバーの自由や自律性を強権的に侵害するのと同様に,支配と被支配または差別と被差別の構造を有する何らかの集団において,支配者の立場に立つ者が被支配者の立場に置かれた者に対して,たとえ「あなたたちの利害のために」という「善意」にもとづいてではあれ,後者の自由や自律性を侵害するようなしかたで干渉してくるとき,前者は paternalist である,前者の態度は paternalistic である,と批判されます.

果たして「父」は家父長主義的または干渉主義的なものに尽きてしまうのか?そう思えてしまうかもしれません – 特に,キリスト教の「父なる神」がその真理において知られていない場合には.

キリスト教の根本命題のひとつである「神は愛である」は,家父長主義的でも干渉主義的でもない「父」を示唆しています.誰をも排除 (exclude) せず,あらゆる者を包容 (include) する神の愛の働きとしての父の機能です.

精神分析においても究極的に問われているのは,そのような人間の実存構造の要としての父の機能です.

ここでは,これ以上,phallus の問題と父の問題について詳論することはできません.また,ここでは,女性性そのものについて論ずることもしません.

ともあれ,LGBTQ 人権擁護運動と feminism とは,性差別の根本原因である phallofascism に対する批判のために,相互に連帯し得るはずです.そのような連帯は,日本において,支配者層の方向性が全体主義と identitarisme[民族同一性主義]へ向いている今,社会を1945年以前へ逆戻りさせないためにも,おおいに必要であるはずです.どのようにその連帯を具体化し得るかを,今後も考え続けて行きましょう.
 
  
最後に,Feminism for Everybody のために祈りましょう.会場で参加者に配布されたきれいなピンク色のリボン – それを皆,身体や持ち物のどこかに着けました – を自宅に持ち帰ったとき,ふとマリア様の像が目に入ったので,その肩にリボンをかけて,次のように祈りました:

神の母 Maria よ,Feminism for Everybody の参加者と,世界中の feminist すべてのために,ともに祈ってください.あらゆる性差別と性暴力がなくなりますように.すべての男たちが masculine protest と sexual objectification の悪から解放されますように.女性たちが「女であることに内在的な有罪性」の束縛から解放されますように.sexuality や gender にかかわらず,誰もが互いに愛し合えますように.Amen.
Saint Mary, Mother of God, pray with us for all the participants of our meeting "Feminism for Everybody" and for all feminists in the world : May every form of sexism and sexual violence disappear on the Earth ; May every men be liberated from the Evil of masculine protest and sexual objectification ; May every woman be liberated from "sense of guilt inherent in being born female" ; May everybody love each other regardless of sexuality or gender. Amen.

この会合を主催してくださった方々と参加者の皆さんに感謝します.フェミニストたちに天の父の祝福と神の愛の恵みが豊かにありますように!

ルカ小笠原晋也