2018年3月26日月曜日

共同祈願,LGBT 特別ミサ,2018年03月25日


Innocenzo da Petralia (1592-1648), il Crocifisso (1637), nella Chiesa di San Damiano, Assisi
 
聖週間が始まりました.わたしたちが主の受難の悲しみと主の復活の喜びに与ることができるよう,祈りましょう.主よ,あなたは,わたしたち皆の罪を贖うために,わたしたちの身代わりとなって,十字架にかけられ,処刑されました.そして,わたしたち皆が永遠の命に与ることができるよう,死者たちのうちから復活して,わたしたちに命の約束と希望を与えてくださいました.誰をも排除せず,あらゆる者を包容するあなたの愛に感謝します.わたしたちが死の不安を耐え抜くことができるよう,慈しみ深くわたしたちを見守り続けてください.この復活祭の機会に,あなたが Saul を回心へ導いたときのように,差別と暴力を世に広げる者たちにあなたの栄光を顕し,憎しみに蝕まれた彼らの心を癒してください.あなたを識ろうとしない日本社会のなかで,わたしたちが神の愛の福音を宣べ伝えることができるよう,わたしたちを導いてください. 

今月13日,Papa Francesco は,教皇着座五周年を迎えました.彼のために祈りましょう.主よ,使徒ペトロの後継者である Francesco は,律法により断罪することをやめ,愛を以てあらゆる人を神の家へ迎え入れるために精力的に働いています.あなたの忠実なしもべである彼を,祝福してください.彼がカトリック教会からあらゆる差別を廃止するよう,彼を導いてください.彼の教皇座のもとで,より多くの人々が神へ向きなおることができるよう,彼を助けてください.

四旬節第二金曜日(今年は3月2日)は,児童に対する性的虐待の被害者たちのために祈る日でした(日本では,日本カトリック司教団がそのように定めた.国によって異なる).世界中で,歴史的に同性愛を断罪してきたカトリック教会のなかで,実は,聖職者による児童の性的虐待事件が少なからず起きていたという shocking な現実を振り返り,今も心に深い傷を負ったままの被害者たちと,罪深い加害者たちのために祈りましょう.主よ,あなたの愛し子たちのなかに,あなたに仕えるはずの者たちの過ちによって,苦しみ続けている人々がいます.慈しみ深く彼らを癒してください.彼らを傷つけた者たちが,心から罪を悔い改めることができるよう,導いてください.

政令指定都市のうち,札幌市に続いて,福岡市と大阪市で,同性カップルのパートナーシップを認定する制度が始まろうとしています.日本での同性婚法制化のためにいのりましょう.性的指向や性同一性にかかわらず,愛し合うカップルすべてを祝福してくださる主よ,世界では同性婚が法制化された国々が既に30近くあります.日本でも,異性カップルと同等の権利が同性カップルにも認められるようになるよう,人々の心をあなたの愛で満たしてください. 

病気療養を続けていらっしゃる小宇佐敬二神父様のために祈りましょう.あわれみ深い主よ,あなたの忠実なしもべ,小宇佐敬二神父が,病のために苦しんでいます.あなたの愛で彼を支えてください.慈しみ深く彼を癒してください. 

さまざまな事情で今日,わたしたちとともにこの御ミサに与ることができなかった同胞たちとその家族のために祈りましょう.主よ,あなたは,社会のなかで辺縁に追いやられた人々をひとりも見捨てません.誰ひとり排除せず,誰をも皆包容するあなたの愛の恵みを,今日来れなかった人々にも豊かに注いでください.また,今日ここに集う幸せを恵み与えられて感謝するわたしたちが,ひとりでも多くの同胞たちへ神の愛の福音を伝えて行くことができるよう,主よ,常にわたしたちとともにいてください.

鈴木伸国神父様の説教,LGBT 特別ミサ,2018年02月25日


Raffaello (1483-1520), La Trasfigurazione (1518-1520), nella Pinacoteca vaticana

2018年02月25日(四旬節第二主日)の LGBT 特別ミサにおける鈴木伸国神父様の説教


鉢の花を活け替える

福音朗読:マルコ 9, 2-10

「イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、 高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、 服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。」

これは「ご変容」と呼ばれる個所です。

ある人の表情や姿が輝いて見える,
ということはないでしょうか。恥ずかしくなってしまうくらいに素直に見つめられて、その印象が心に焼き付いて離れないということはあるかもしれません。弟子たちにはそんな経験だったのではないでしょうか。

今日,わたしには,イエスの眩しいほどに清々しい表情、怖いくらいに吹っ切れた姿が,思い浮かんでいます。

四旬節は「心を新しくしていただく季節」という気がします。四旬節をベランダのプランターの花を植え替えることに喩えた話を,読んだことがあります。四旬節は、春を待つこの季節に、まだ少し残っているかもしれないプランターの中身を、土を出して、掃除をして、新しい土と新しい苗に入れかえて春を準備することに,確かに似ている気がします。新しい命をいただくために、古くなりかけていた自分を脱ぎ捨てて、もう一度新しく自分を始めようとするようなものでしょうか。

ところで,わたしは以前,スマートフォンというものを持っていませんでした.ですから,ゲームをするということを知りませんでした.ある日,知り合いの神父さんがコンピューターでゲームをしているのを見て,「ええ,ゲームなんかするの,この人は」と,思ったことがあります.でも,すごく良い神父さんだったので,「ああそうかなあ」と思い直して,自分もしてみました.たしかに,少しいいものでした。イライラするとき,何をしたらいいか,わからないときには,その隙間を埋めてくれるものです。

でもしばらく,後になって気づいたんですけれど、私は,一つの作業と次の作業の間に考え事をしなくなっていました。ゲームを始める前には「さあ何をしようかな,少し時間があいちゃった,どうしようかな... う~ん... 午前中こんなことがあったな,ああ明日から,今日から...」と,いろんなことを考えていました.空いた時間,わたしはいろんなことを考えていました.午前中あったこと,午後あること,会った人,これから会う人,神様のこと,雑誌に載っていたこと...。それがゲームをするようになってから,その隙間が全部,ゲームに変わってしまった気がしました。

回心というものは,別に,「ああ!悪いことをしました!」と大きな悔い改めをすることばかりではないように思います。もしろん,そういう回心の呼びかけを感じる人は,すぐにしたほうがいいに決まってはいますが.でももっと小さなものでも、自分の心と生活のなかにある余計なもの、もっと自分の命と心が活き活きと動き出すためにすこしじゃまになっているようなものを、心と生活の中から除けるだけのことも、すばらしい回心(別の考え方をすること)だと思います。「これがあれば助けになっているかな」と思って自分のところに残しておいたものでも、もしかしたら「いらないもの」かもしれません。いつか振り返って「ああ本当に良かったな,あのときこれを選んで」って思えるものじゃないものは、捨ててしまっていいと思います.必要なものならきっとまた手に入れようとするはずですから。

私は,今日のイエスの「眩しいほどに清々しい表情」の背後に、イエス様が自分の本当に欲しいものを選び取って、それ以外のものを置いてゆくことに何の未練もなく心を決めることができた出来事があるのを,思います。

今日の福音の直前にあるのは、「わたしは,祭司たちに,人々に,引き渡されて,三日めに死者のうちから復活する」(マルコ 8,31-33)というイェス様の宣言です。ペトロが「そんなことを言ってはいけません」とイエス様を引きとめると,イエスはペトロを「下がれ,サタン」と叫んで、彼を叱り、退けます。

恐れ,ひるみ、また不安へと誘われる心に打ち勝って,イエス様はご自分の道を選び取られます。

自分の進みたい道がはっきりと分かり、それを自分ではっきりと選ぶことができたときの緊張と高揚感、清々しさ、そして神々しさを、わたしは今日の福音のイエスさまの姿のうちに感じているのだと思います。

四旬節は,とても気持ちの良い季節です.ちょっと寂しい季節ですけれども,気持ちの良い季節です.ぜひ,恵みのある四旬節になりますように.

共同祈願,LGBT 特別ミサ,2018年02月25日


Carl Bloch (1834-1890), Transfiguration of Christ, Hope Gallery, Salt Lake City, USA

四旬節です.主の御復活の喜びに与るための心の準備の期間です.わたしたちをいつも新たな回心へ導いてくださるよう,主に祈りましょう.主よ,あなたは,Papa Francesco が改めて引用したように,過越を迎える二日前,オリーヴ山で弟子たちにこうおっしゃいました:「不公正と悪がはびこり,大多数の者たちの愛は冷え込む」.二千年前のあなたの言葉は,神の愛の福音を拒み続ける日本社会の現状を,正確に描き出しています.慈しみ深い主よ,わたしたちの冷え切った心を,あなたの愛の聖霊であたためてください.祈りと施しと断食によってわたしたちが神の言葉に心をより開くことができるようにしてください.わたしたちが「能動的信徒」としてあなたの愛の福音を他者へ伝えることができるよう,わたしたちを勇気づけてください.


今月11日は,Notre Dame de Lourdes の祝日であり,また,世界病者の日でした.癒しと赦しを願って祈りましょう.主よ,あなたはこうおっしゃいました:「わたしが世に来たのは,健康な者たちのためではなく,病む者たちのためである」.また,こうもおっしゃいました:「義とされるのは,律法によって自己正当化するファリサイ人ではなく,自身を罪人と認め,悔いる徴税人である」.慈しみ深い主よ,わたしたちが自身の病と罪を否認することをやめ,自身を「病む者」,「罪人」と認める勇気を持つことができるよう,わたしたちをあなたの愛で導いてください.あわれみ深くわたしたちを癒し,赦し,救い,あなたの永遠の命に与らせてください.

聖職者による児童の性的虐待のスキャンダルによって,カトリック教会から人々の心が離れ,教皇への不信感も増しています.わたしたちの聖なる教会と,主の忠実なしもべ Papa Francesco と,わたしたちを司牧する司教と司祭たちのために祈りましょう.わたしたちの教会の頭である主よ,あなたのからだであり手足である教会が,あなたの意志に常に忠実であることができるよう,導いてください.信徒の司牧以外にも,さまざまな雑務に追われて,疲れ切っているかもしれない司教や司祭を,あわれみ深く癒してください.特に,聖ペトロの後継者 Papa Francesco を改めて祝福し,カトリック教会をまことにあなたの愛の神殿としようとする彼の改革の努力がより豊か実を結ぶようにしてください.

さまざまな事情で今日,わたしたちとともにこの御ミサに与ることができなかった同胞たちとその家族のために祈りましょう.主よ,あなたは,社会のなかで辺縁に追いやられた人々をひとりも見捨てません.誰ひとり排除せず,誰をも皆包容するあなたの愛の恵みを,今日来れなかった人々にも豊かに注いでください.また,今日ここに集う幸せを恵み与えられて感謝するわたしたちが,ひとりでも多くの同胞たちへ神の愛の福音を伝えて行くことができるよう,主よ,常にわたしたちとともにいてください.

共同祈願,2018年01月28日,LGBT 特別ミサ


 Caravaggio (1571-1610), La Conversione di San Paolo (1601),
nella Cappella Cerasi della Basilica di Santa Maria del Popolo a Roma

新たな年の最初の月を迎え,神に感謝して祈りましょう.慈しみ深い主よ,あなたは,万物を無から創造し,あなたの作品をすべて善きものとして祝福してくださいます.あなたは,わたしたち皆をあなたの似姿として創造し,わたしたちが今あるがままに,わたしたち皆をあなたの愛し子として受け入れてくださいます.わたしたちは,あなたの御わざを賛美し,あなたの愛に感謝します.今年も,わたしたちを慈しみ深く見守ってください.わたしたちが主イェス・キリストにならって生きて行くことができるよう,聖霊の恵みでわたしたちを満たしてください. 

キリスト教徒すべての一致のために祈りましょう.毎年1月18日,初代教皇聖ペトロのローマ司教座の祝日から,25日,聖パウロの回心の祝日までの八日間は,キリスト教徒の一致のために祈る一週間と定められています.今年のテーマは,出エジプト記から取られた言葉:「主よ,力強く輝くあなたの右手は」でした.全宇宙をすべる主よ,力強く輝くあなたの右手によって,わたしたちを無と死と罪から救い出し,永遠の命に与らせてくださることに,感謝します.あなたの愛によって,あらゆる差別と憎しみと暴力をこの世から取り去ってください.わたしたちが,愛と平和のわざを為し,対立と差異の裂け目に橋をかけて,多様性における一致を実現することができるよう,わたしたちを聖霊によって導いてください. 

先日,自身が gay であることを公表した京都府長岡京市の市会議員,小原明大(おはら・あきひろ)さん,および,同様に come out して社会正義のために活動している人々のために祈りましょう.悪をしりぞけ,善をもたらしてくださる主よ,社会において正義と公正を実現するために働く人々すべてを祝福してください.特に,sexual orientation と gender identity に関して差別され,いじめられている子どもたちの救いとなるために,勇気を以て come out して生きている人々に,よりいっそうの祝福を与えてください.彼れらのわざによって,社会に平和の実を豊かに実らせてください. 

さまざまな事情で今日,わたしたちとともにこの御ミサに与ることができなかった同胞たちとその家族のために祈りましょう.主よ,あなたは,社会のなかで辺縁に追いやられた人々をひとりも見捨てません.誰ひとり排除せず,誰をも皆包容するあなたの愛の恵みを,今日来れなかった人々にも豊かに注いでください.また,今日ここに集う幸せを恵み与えられて感謝するわたしたちが,ひとりでも多くの同胞たちへ神の愛の福音を伝えて行くことができるよう,主よ,常にわたしたちとともにいてください.

2018年3月15日木曜日

映画 Freedom to Marry を観て


USA で2015年06月に合衆国最高裁判所が「同性カップルにも結婚の権利は認められるべきだ」と判断するに至るまでの同性愛者人権運動の歴史を,特に弁護士 Evan Wolfson 氏と彼が主導した結婚の平等の実現のための社会運動 Freedom to Marry[結婚する自由]に焦点を当てて振り返ったドキュメンタリー映画 Freedom to Marry の上映会と,Wolfson 氏の講演会が,13日晩,LLAN の主催により,日本橋の Bank of America Merrill Lynch 社内のホールで開かれました.



わたしは二年前,Wolfson 氏の初来日のときに彼に会いました.そのときはこの映画はまだ完成されておらず,「楽しみにしていてくれ」と彼は言っていました.

今回の彼の来日のことに関しては,こちらの新聞記事で取り上げられています.

13日の晩は,会場で,我々の友人,文京区議,前田邦博さんにも会いました.

同性婚の問題についてであれ,人権一般の問題についてであれ,日本ではおよそ期待し得ない社会正義の実現の物語を聞くことは,大きな喜びと勇気を我々に与えてくれます.

Evan Wolfson 氏は,1957年に NYC で生まれ,1983年に Harvard Law School で法学博士号を取得しました.その際に提出された学位論文 Samesex Marriage and Morality : The Human Rights Vision of the Constitution[同性婚と道徳:憲法の人権観]において,彼は,同性愛者の結婚の権利を主張する議論を大胆に展開しました.当時,同性愛者のカップルが結婚する可能性について真剣に考えていた者は,USA でもほかに誰もいなかったでしょう.

彼は,結婚の平等のための彼自身の社会運動の出発点を,この1983年に置いています.ですから,2015年に同性婚合法化の成果が得られるまで,32年かかったわけです.そのゴールに向けて,彼はその間,たゆまず努力し続けました.この粘り強さは,実に,敬服に値します.

それを支えるものは,希望です.今,日本人の大多数にとっては,持つことが最も困難なものです.

そして,論理の明晰性です.法のもとでは,あらゆる人間は平等であり,平等に権利を有している.結婚の権利に関しても然り.実に明晰な論理です.

しかし,この法治国家の大原則も,日本社会では実際には通用しません.たとえば,最高裁は,夫婦別姓を認めようとせず,結婚によって姓を変えない権利(男にとっては言うまでもなく認められている権利)を女性には認めようとしません – 法ではなく,家父長主義的イデオロギーを優先するせいで.

Wolfson 氏は,2003年に,結婚の平等を実現するための全国的な社会運動組織 Freedom to Marry を立ち上げます.2015年の最終的な勝利に至るまでのその歴史は,Freedom to Marry のこちらのページに紹介されています.

結婚を男女間に限ろうとする保守派の激しい反対運動に対抗し,先入観にとらわれた世論を草の根のレベルから変えて行く根気づよい努力の物語は,実に感動的です.しかし,果たして日本社会で同様のことは可能だろうか,といつも考え込んでしまいます.

キャンペーンを張ろうとしても,日本会議に代表される保守的イデオロギーに同調する企業の資金力に勝てるはずはない.たとえ今,日本での世論調査では同性婚に賛成する者の方が若干多くても,保守派の大規模な広告作戦によって賛否は簡単に逆転してしまうに違いない.そのとき,果たして,外資系の大企業が日本における同性婚法制化の実現のために資金提供する可能性など,あるのだろうか?...

また,そもそも,日本人社会は「議論する」ということが成り立たない社会です.日本人は,「上」からの命令の言葉を聞くだけで,議論において相手の言葉に耳を傾けようとする態度に欠けているからです.日本の教育制度のみごとな成果です.

日本で世論を同性婚賛成の方へ持って行くには,誰もが知るような有名人が「わたしは同性パートナーと結婚したい」と涙ながらに訴えて,同情を買うしかないのではないか,とわたしは空想しています.

講演の後,結婚の平等のための社会運動と feminism との連携について Wolfson 氏に質問しましたが,両者の連帯は大切であり,当然だ,というような一般論のレベルでの答えしか返ってきませんでした.この問題についてもっと具体的な答えを得るためには,Freedom to Marry の lesbian のメンバーに質問する方が,より適切でしょう.

また,今回は会場が USA の大企業の東京支社のなかにある大ホールであったため,余計にそう思わされましたが,結婚の平等を実現するための社会運動と LGBT の人権を擁護するための社会運動において,結局は respectability politics[社会的差別を解消して行くために,被差別者が差別的な多数派の社会規範のなかで敬意を払われるような社会的地位を獲得することを重要視し,差別者側に被差別者側を受け入れさせることを軽視する考え方]が優先し,LGBTQ+ のなかで経済的に不利な立場に置かれている人々や,既成の社会規範のなかに収まりきらない queer な存在の人々が取り残されてしまうことになるのではないかとの危惧を,改めていだかされました.

カトリック教会が LGBTQ+ の人々に神の愛の福音を伝え,彼れらを教会へ迎え入れるとき,まさに Jesus が手本を示してくださっているように,社会のなかで最も辺縁に追いやられている人々を最優先することを忘れてはならない,と改めて思いました.

ルカ小笠原晋也

2018年3月9日金曜日

LGBT カトリック信者のためのスピリチュアルな気づき





今月 6日に Building a Bridge : How the Catholic Church and the LGBT Community Can Enter into a Relationship of Respect, Compassion and Sensitivity[橋を架けよう ‒ カトリック教会と LGBT の⼈々とが敬意と共感と気遣いの相互関係に⼊れるように]の増補改訂版が出版されたのに合わせて,James Martin 神父様の新しい動画 Spiritual Insights for LGBT Catholics が発表されました.


そのテクストも,イエズス会の週刊誌 America に掲載されています.

翻訳して,御紹介します:

LGBT カトリック信者たちのためのスピリチュアルな気づき


こんにちは!イエズス会の司祭,ジェームズ・マーチン神父です.『橋を架けよう』の著者です.

この数ヶ月間,わたしは,多数の LGBT カトリック信者から便りをもらいました.信仰や教会内の居場所について葛藤をかかえている人々です.質問のうち最も共通していたのは,カミングアウトに関することです.つまり,自身の性的指向または性同一性の現実を家族や友人と分かち合うことです.多くの人々にとって,若い人でも年配の人でも,カミングアウトは怖ろしい経験であり得ます.特に「教会は または,神様は ,なんだか,わたしのことを嫌いなんじゃないか」と感じている場合は.しかし,カムアウトした後でも,なおも,信仰とも教会とも葛藤が続く場合もあります.

そこで,心にとめておいて欲しい五つのことを挙げましょう.

1. 神は,あなたを愛している.

それは,基本的なことであり,自明なことでさえあるでしょうが,しかし,特に,「わたしは,ほかの人々から愛されていない,受け入れられていない」と感じている LGBT の人々にとっては,重要な気づきです.神は,あなたを創造しました.ですから,神はあなたを愛しています.

「どうしてわかるの?」と,あなたは質問するかもしれません.お答えするなら,まずは,「神はあなたを愛している」は,旧約と新約両方の最も基本的なメッセージのひとつです.旧約は,神がイスラエルの民と結ぶ契約 揺るぎない結びつき の物語です.神は,イスラエルの民を愛しており,わたしたちを愛している ‒ たとえわたしたちが何者であっても.そして,新約は,イェスにおいてわたしたちに愛を示してくださる神について語っています.イェスは,彼の全人生をとおして,人々を愛します.そして,「神はあなたたちを愛している」ということを人々に知らせます.ひとことで言うと,第一ヨハネ書簡が言うとおり,「神は愛である」.

聖書に書かれてあることに付け足すなら,あなたの人生のなかで,あなたを愛し,あなたを受け入れ,あなたのために最善のことを望んでいる人々すべてのことを,思い起こしましょう.彼れらをとおして,神の愛は働いています.ほかにどのようにして神は御業(みわざ)を行うというのでしょう?神は,そのように,あなたを愛しています.

でも,ときとして,こう考える LGBT の人々もいます:「わたしが打ち明けない限りで人々はわたしと仲良くしてくれるが,もしカムアウトすれば,わたしを愛してくれる人は誰もいなくなるだろう」.確かに,多くの場所で,LGBT の人々は,さまざま理由で拒絶されます 恐れのせいで,無知のせいで,偏見のせいで.悲しいことに,ときとして,拒絶が宗教的信念にもとづいている場合さえあります.アメリカ合衆国内でホームレスになっている LGBT の若者たちに関して為されたある研究によると,彼れらが家から追い出された主要な理由は,彼れらの親の宗教的信念でした.しかし,あなたを本当に愛している人々は,ありのままのあなたを受け入れてくれます.そのような愛を見つけるのに時間がかかる場合があるとしても.

今,あなたを愛し,受け入れてくれる人が本当に誰もいないと思われる場合は,あなたの心のなかを見てごらんなさい.たとえば,あなたは,きっと,豊かで充実した人生をおくりたいと望んでいるでしょう.そのような思いはどこから来ると思いますか?神からです.神の声が,あなたを,より自由になるよう,招いているのです.神は,あなたのためにそう望んでいる なぜなら,神はあなたのことを思っているから.

ですから,単にあなたが LGBT であるという理由で「神はあなたを憎んでいる,あなたを拒んでいる,あなたを断罪している」と言うような人々の言葉を聞いてはなりません.それは間違っています.ですから,一瞬たりとも耳を貸すに値しません.かわりに,神のあなたに対するあわれみ深い愛に,あなたの存在を中心づけてください.そして,神の愛のしるしを内でも外でも探してください.

2. 神はあなたを創造した.

もしあなたが LGBT なら,「神はあなたを創造した」はもうひとつの重要な気づきです.声望ある精神科医,心理学者,生物学者なら,誰でも,こう言うでしょう:あなたは,男であるか女であるかをみずから選んで生まれてきたわけではないだけでなく,異性愛者であるか同性愛者であるかをみずから選んで生まれてきたわけでもない.ですから,あなたが性同一性や性的指向に関してどうであるかについてあなたに罪があるかのように思わされないようにしましょう.それは,左利きに生まれたか右利きに生まれたかと同じようなことです.

神は,あなたがあなた自身のことを知るよう望んでおり,あなたがあなた自身の存在を神からのすばらしい贈りものとして受け取るよう望んでいます.詩篇13914-15節が言うように,あなたは「母の胎内で編み上げられ」,「すばらしく作られ」ました.あなたは,すばらしい存在であり,唯一無二の被造物です.ですから,忘れないでください:神はあなたを創造し,あなたのことを知っており,あなたを愛しています.

3. 神は,あなたの味方である.

預言者エレミアは,すばらしい神の言葉を伝えています:「主は,こうおっしゃる:『わたしは,あなたたちについてわたしが立てた計画を知っている.それは,繁栄の計画であり,不幸の計画ではない.わたしは,あなたたちに,未来と希望を与える』」(Jr 29,11).

言い換えると,神はあなたのために善いことを計画しており,あなたの味方です.ときとして,「わたしは人生のなかで孤独だ」というように感ぜられることもあるかもしれません.しかし,あなたを創造した神は,あなたのために最善のことを望んでもいます.そして,神は,それを実現させることを手助けするために働きます.ですから,もしあなたが今,人生は辛いと感ずるなら,思い出してください:あなたは,あなたひとりだけで孤独にボートを漕いでいるわけではありません.誰かが,あなたと共にボートのなかにいて,同じ方向に進むよう漕いでいます.

4. イェスは,あなたのことを思っている.

福音書がわたしたちに示しているように,イェスは,公の宣教活動の間,特に,「わたしは無視され,拒絶され,差別されている」と感ずる人々に手を差し伸べました.何度も何度も,イェスは,取り残されたと感ずる人々のところへまず行きます.彼は話しかけます,当時忌み嫌われていた徴税人に.彼は話しかけます,サマリア人の女性に 当時,それは,ユダヤ人なら絶対しないことでした.彼は話しかけます,ユダヤ人社会に属していないローマ人である百人隊長に.さらに,イェスは,貧しい人々,病気の人々のところに行って,彼れらに話しかけ,彼れらの話を聴き,彼れらを慰め,癒します.イェスは,常に,排除されていると感ずる人々の側に立ちます.

では,今日,どこにイェスはいらっしゃるでしょう?もしあなたが「わたしはアウトサイダーだ」というように感じているなら,彼は特にあなたと共にいます.さらに言えば,多くの場面でイェス御自身がアウトサイダーです.人々はしばしば彼を拒絶しますから.ですから,あなたが経験していることを,彼はよくわかっています.おぼえていてください,イェスは格別な愛であなたのことを思っている,ということを.

また,事態は改善し得る,ということも忘れないでください.イェスの「生と死と復活」の最も重要なメッセージのひとつは,何か新しいものの希望が常にある,ということです たとえ今はそれが見えていなくても.ちょっと考えてみましょう:イェスが十字架にかけられて処刑された直後,弟子たちはどんな気持ちだったか.彼れらはこう思ったでしょう:事は済んでしまった.何も変えられない.しかし,ほんの三日後に起こることは,事態は常に変わり得る,ということを示してくれます.それが,イェスの「死者のうちからの復活」の意味のひとつです.愛は,憎しみよりも強い.希望は,絶望よりも強い.苦しみは,決して最後の言葉ではありません.事態は改善し得るのです.

5. 教会は,あなたの家である.

ごらんなさい,あなたは洗礼を受けています.それは,あなたはまさに教会の一員だ,ということです.あなたは,教皇や司教や司祭やわたしがそうであるのとまったく同等に,教会の一員です.あなたの洗礼のとき,イェス御自身が,教会の一員となるようあなたを呼んだのです.ですから,誰かが「そうではない」とあなたに言ったり,洗礼の秘跡の恵みをあなたから奪い去ることは,許されません.

教会があなたの家であるためには,あるがままのあなたを歓迎し,肯定してくれると感ぜられる小教区を見つけることが,重要です.あなたがそのような小教区を探しているなら,New Ways Ministry が作成した LGBT friendly な小教区のリストを調べてみるとよいでしょう.

しかし,探してみても,歓迎してくれる小教区を地元では見つけることができない LGBT カトリック信者も少なくありません.そのような場合,自身が所属する小教区では歓迎されていない,と感じたままであらざるを得ません.LGBT の人々に対して無神経な言葉,攻撃的な言葉,さらには罵りの言葉をさえ発する司祭や教会役員がいる,という話を,わたしはたくさん聞いてきました.人間が作る組織においてはどこでもそうであるように,冷淡なこと,卑劣なことを言ったりしたりする人がいます.どの職種においても,同じことです.しかし,だからと言って,カトリック教会から立ち去らねばならない,というわけではありません.わたしは,よくこう言います:「ヤブ医者に出くわしたことが一度あるからといって,二度と医者に診てもらわないでいられますか?」.それでも,それはとても辛いことです.よくわかります.

では,歓迎してくれる小教区が見つからないときは,どうすればよいか?その場合は,あなたを歓迎してくれ,「神はあなたを愛している」と断言してくれるスピリチュアルな家庭を探しましょう.しかし,歓迎してくれるカトリック小教区を探すことを,決してあきらめないでください.教会のなかにあなたの居場所があるということを,決して疑わないでください たとえほかの人々にはそのことがわからなくても.わすれないでください,あなたは洗礼を授けられたのだ,ということを.

そして,覚えていてください,あなたは教会にとって重要なのだ,ということを.特に,教会は,LGBT の人々のことをますます知るようになり,あなたたちの経験について反省するよう促されているのですから.神は,あなたを創造し,特別な賜をあなたに与えました.そして,理由あって,神はあなたを教会へ呼び寄せました.言い換えると,教会はあなたを必要としています.

さて,質問全部にお答えすることができなくて,すいません.信仰や教会との葛藤に悩んでいる LGBT カトリック信者からの質問も,LGBT に関することがらについての質問も,とてもたくさんいただいたので.ともあれ,ここで述べた幾つかの省察が何かお役にたてばよい,と望んでいます.そして,なかんずく,忘れないでください,あなたに対する神の愛を.なぜか? 答えを当ててみてください なぜなら,神はあなたを愛しているからです.

(翻訳:ルカ小笠原晋也)