2015年9月9日水曜日

小宇佐敬二神父様と東京カリタスの家

「カリタス」は,ラテン語で caritas と表記します.その意味は「愛」です.

amor がギリシャ語の ἔρως に対応して「人間どうしの性愛」であるのに対して,caritas はギリシャ語の ἀγάπη に対応して「神と人間との愛」ならびに「隣人愛」を指します.

英訳や仏訳の聖書においては ἀγάπη も love や amour と翻訳されますが,特に ἔρως としての愛との違いを強調するときには charity, charité といいう語が用いられます.それらは,ラテン語の caritas からの派生語です. 

東京カリタスの家は,ひとつの公益財団法人として,形式的にはカトリック教会とは別の組織ですが,その理事長は岡田武夫大司教であり,事務所も東京カテドラルの敷地内にあります.小宇佐敬二神父様は,東京カリタスの家の常勤常務理事として,実質的な責任者です.

東京カリタスの家のホームページにはこう述べられています:

「カリタスは愛を意味します.神の愛のまえでは,すべての人が同等の尊厳を持っています」.ですから,「ひとりひとりを大切にしたい:それがわたしたちの思いです」.

「健康で幸せな生活には身体的,精神的,社会的,霊的な健全さが満たされることが必要です」.ですから,東京カリタスの家は,「生きづらさや苦しみを負っている人々を兄弟姉妹として迎え,その困難や苦しみを共に担い,寄り添うことを目指し」ており,そして「その人が本来持っている生きるための力が回復され,自分らしく生きることが出来るよう,ともに歩む」ことを目的としています.

「生きづらさや苦しみ」の理由のなかには,勿論,LGBT の問題も含まれます.どうぞ遠慮無く相談してみてください.

東京カリタスの家相談室:
電話 : 03-3943-1726
受付時間 : 月曜から土曜まで(祝日を除く) 10:00 - 16:00.

小宇佐神父様と直接話してみたい方も,まずは上記へ電話してください.


「東京教区ニュース」第 317号(2014年)に紹介された小宇佐神父様のプロフィールを以下に転記します:





使徒ヨハネ 小宇佐 敬二 (こうさ・けいじ) 神父様

1948年3月 20日生まれ.
1981年2月 11日司祭叙階.

洗礼まで:

“宮崎県北郷村(現在の美郷町)で育ちました.田舎で,キリスト教のキの字も見当たらない所です.町の中学に行くことになって日向学院というサレジオ会の学校に入り,キリスト教と出会いました.

“その前に小学2年生の頃,母の友人が表紙に十字架とドクロがついた本を母に持ってきて,その不気味さに強い印象を受けました.中学に行ったら,その十字架があり興味を持ちました.また宮崎の中でも山の僻地から出てきて文化的な先進性に触れたのも理由のひとつだと思います.キリスト教に惹かれてゆき,DSC (Domenico Savio Club) という日曜日にキリスト教的な活動をするクラブに入り,それとは別に洗礼のための勉強を行い,中学2年生の復活祭に洗礼を受けました.洗礼名は自分で決めました.「イエスに一番愛された弟子」だから. ”

その後も教会活動を?:

“それが,高校生になると,中学の時に習った公教要理に理論として疑問を持つようになりました.卒業し,京都で一年浪人生活を送りましたが,何学部を受けていいのかわかりませんでした.何になりたいのかわからなかったのです.


“小さい頃は実家が医院なので医者になるのが夢でした.でも私には色覚の障がいがあって,当時医者になることはできませんでした.

“その頃,東大紛争も起こり,「学校なんてどうでもいいや」という気持ちになって,東京の山谷に行き,暮らしました.毎日地下鉄工事をしました.

“三ヶ月後,ある日ひとつのイメージのようなものを見ました.酒場のカウンターでみんなが飲んでいる中,イエスが後ろに立っている.何かを言いたそうだが言葉がない.それ以来,「彼らに語る言葉を探す」というのが私のテーマになりました.そして慌てて大学受験をして哲学科に行き,本郷教会にも通うようになりました. ”

大学生活から神学校へ:

“大学ではカトリック研究会(以下「カト研」)に入っていました.まだ大学紛争は続いており,マルクス主義的な言葉で話されていることをキリスト教的な表現で表現していくことができる.それがカト研の使命ではないかと思っていました.

“3年生のころ,カト研に江部ちゃん(江部純一神父)が入ってきて,一年後には洗礼の代父になりました.

“本郷教会では青年会として関口教会との交流も活発に行いました.私は神父になりたいという望みをもっていたので,主任司祭の平田忠雄神父に伝えたところ,「あなたは家がカトリックではないからカトリックのご家庭にも行きなさい」と言われ,遊びに行ったりもしていました.

“神学校に入り,哲学は大学で学んでいたので「特神」という四年で卒業するコースになりましたが,途中で六年間の共同生活が義務づけられたので,神学部 4年生を三年間続けるような形で六年間を過ごしました.最後の一年は町田教会に住みながら週一日だけ神学校に通いました.

“助祭叙階は町田教会でした.直前に新垣壬敏さんの聖歌指導に付き合い,青年たちと雪の聖母修道院(ドミニコ会,福島県磐梯町)に行き,休憩時間にスキーをして膝の靭帯を断絶し,車椅子で叙階を受けました.その姿を見て「障碍者でもがんばって司祭になろうとしている」と涙を流した人もいました.勘違いをさせてしまいました(笑). ”

司祭叙階の恵み:

“司祭叙階後,本郷教会で初ミサをしたときに,ある人に頼まれ,病床訪問に伺いました.80代のおばあちゃんで,ものすごく喜んで延々と話し始めました.戦争の最中から始まる人生の様々な痛みや苦しみのことを.それを聞いているうちに,病院の入り口にイエス様がきたイメージを感じました.そして一歩ずつ病室に近づいてきて,ドアを開け,おばあちゃんの傍らに立ち,手を握りました.本当に赦されて受け入れられているという感じを受けました.一週間後にご聖体を持ってもう一度行ったら,あの三日後に亡くなったと聞きました.ご自分の生涯を清算し,赦しを受けて安心してやっと死ぬことができたのでしょう.そこに立ち会えたことは司祭叙階の一番大きな恵みに思いました.

“神学生の頃から多摩ブロックとの関わりがあり,叙階後,立川教会に助任として赴任しました.そこでも病床訪問で「ああ司祭はミサを運ぶことも出来るんだ」という体験をしました. ”

好きな聖書の箇所は ? :

“たくさんあるよ ! 例えば「姦通の女」(Jn 8,1-11) と言われているところ.あれは「姦通の嫌疑(冤罪)で捕らえられた女」だと思うのです.彼女が罪を犯していないことをイエスは証明した.すると,偽証の罪は同罪だから,実は救われたのはファリサイ派や律法学者の長老たちなのです.冤罪証明が公の場所でなされたのに死罪を免れました.こう読んでいるのは,私しかいないと思うな. ”

伝えたいことをどうぞ ! :

“おもしろく聖書を読もう ! 聖書は面白い !”


今月 6日に,LGBT カトリック・ジャパンの共同代表,小笠原晋也(向かって左)と宮野亨(右)が小宇佐神父様(中央)とお会いしたときに撮った写真です: