2016年12月24日土曜日

主の御降誕おめでとうございます ‒ ペトロ宮野亨より

主の御降誕に心からの感謝を捧げ,皆様と一緒にお祝いします!

わたしはこの数年,聖体拝領で,ひとつの「気持ちと心」を味わえるように,神に願い続けています.それは,御聖体の形にまでなって,わたしの中に入ってきてくださる主イエスの「気持ちと心」です.

これだけを噛みしめて味わいます.

これにより深まるわたしの中身は,「神を愛する気持ちや心もすべて神からいただいているから,神を愛せる.自分の力ではない.わたしはただの器」という実感です.

わたしは神に愛されているから,神を愛する「愛」や人を愛する「愛」を神はすべて常に下さっている,と実感しています.

では,クリスマスでは,どうでしょうか.赤ちゃんにまでなって,わたしたちに現れてくださった主イエスの「気持ちと心」は,例えばどんなでしょうか?

非暴力,無抵抗,堕胎拒否,LGBT 賛美,命そのもの... この他にも沢山あるでしょう.

わたしが最も感謝しているのは,「親が赤ちゃんに捧げる無償の愛を,三位一体の御交りは天国から見ていて,羨ましくなって,赤ちゃんになってその愛を実感したかった」という恵みです.人に愛される実感を神が感じたがっているという恵みです.

この他には,聖マリアは,わたしたちと同じ質素なありふれた女性です.特別ではない普通の人間に,神は御計画を打ち明けています.それも,聖堂の中ではなくて,マリアが家でくつろいでいるときに,神は,その日常生活のなかに来て,愛を打ち明けます.

自宅のなかに神がドアを開けて入ってくる情景は,わたしの心の扉を神が開けて,わたしの部屋に入ってきてくださる情景と一致します.

ある神父様は,「神を,生活の場や日常の些細な出来事のなかに感じないならば、それは単に神を理性で捉えているだけで、まだ命の神と出逢い触れ合っていない」と言っています.

アビラの聖テレサは「神は台所の鍋のなかにもおられる」とわたしたちに諭しています.「罪に較べて無限に偉大な神の愛を,いつも感じて,頼りましょう」と言っています.

わたしがスゴイなと感じるマリア様は,「何故,そのご計画がわたしなんですか?」と素直に本質的な質問を神にしています.神にいつも尋ねて答えや恵みをいただく信徒の姿を,わたしたちに教えてくれます.

神は,わたしが常に問いかける存在です.「何故わたしは○○○なんですか?」と問いかけます.

御復活祭前後に過越の神秘を祈るとき,わたしの問いに答えて,主はいつもメッセージをくださいます:「わたしはあなたのために死んだ.わたしに従いないなさい」と.

クリスマスのときのわたしへの答えは,「わたしはあなたのために生まれた.わたしに従いなさい」です.

三位一体の御交りとの交りを感じるクリスマスでありますよう,皆様のため,心から祈ります.

皆様に感謝をこめて,

LGBTCJ 共同代表

ペトロ宮野亨